風呂上りにドライヤーで髪の毛を乾かしながら
何となく「30代は二度と経験できないんだな」
なんて事を鏡に映る自分を見ながら考えていた。
何故かその事ばかり反すうする内に
何か言いようのない「焦り」の様なものを覚えた。
何かを置き忘れて来たような、
二度とは戻れない感覚に押し潰れそうになっていた。
こんな時、過去の自分の行動に後悔の念が生まれるとするならば
その根源には何かに「躊躇してしまった自分」がいたのではないかと思う。
小学校の頃、父親が自分の前に走っていた2、3台のハーレーを追いかけて
信濃町の野尻湖までついて行ってしまったという話を聞かされた事がある。
軽快に走り抜く彼らの後ろ姿に、自分の夢を重ねていたのだろう。
会社を興して苦労を重ねた父親は57歳の時、癌に侵されこの世を去った。
24才の春だった。早いものであれから22年の時が流れた。
当時は本人に癌であるという事実を告知する時代ではなかった。
暗黙的に本人には事実を伏せて手術がなされた。
順調に回復する事を信じて疑わなかったその半年後、転移が見つかったと聞かされた。
致命的に進行していた。願いは届かなかった。
回復する事だけを信じて看護した母親にこの事実を告げる事は余りにも酷だった。
残された家族で事実をとどめる事にした。
数ヵ月後、徐々に症状が悪化していく過程で母親は転移している事を既に悟っていた。
「元気になったらゆっくり温泉にでも行きたい」
「行った事のない所に行ってみたい」
そんなささやかな心の励みは消え去っていった。
話しがあるからと父親が呼んでいる事を伝えられた。
「最後の会話だった」
会話を交わす距離間が分からなかった。
言葉にならなかった。
数日後、親戚、家族に見守られて息を引き取った。
母親は旅行が趣味で、父親が他界した後は方々に出かけていた。
好きな事をしていてくれる姿を見ると救われた気持ちになれた。
今思うと、旅行に出かける事で寂しい思いを掻き消していたのだと思う。
長生きしてくれるものとばかり思っていた母親もそれから10年後、癌で他界した。
両親を失った。34才になっていた。
親が子供に望む事とはどんな事でしょうか。
「幸せになって欲しい」
ただ、それだけです。
他界した両親に感謝の気持ちを伝えるとするならば
自分が幸せになる事、周りにある沢山の幸せを感じ取って生きる事です。
【限りある人生】
人は生まれた瞬間から「死に向かって生きている」といっても過言ではありません。
自分の目的を持ち、到達するまでの目標を掲げ、自分のスタンスでトライする。
これが自分の人生をポジティブに生きるという事、即ち幸せに生きるという意味です。
【自分がしてみたい事をやってみる】
人は常に「普通」を意識します。人は比べたがる生き物です。
普通より上か下か、平均値に収まっているか否かで自分の価値を計ります。
この意識がある限り自分の人生を生きる事ができません。
他人と比較する事でそこに価値を生もうとするからです。
人は主観の世界でしか生きられません。
実体のない「普通」に正解を求めても意味はないのです。
『自分の向いている方向が、未来だ。』